株式会社ニチダイ

ニチダイスピリッツ

新たな価値創造をめざした挑戦の軌跡

 1959年、大阪環状線「天満駅」近くのスレート葺きの建物を社屋に、ベンチャー企業「田中合金製作所」として創業した当社。6畳間と押し入れを繋げた板の間で、ボール盤を改造した自家製の放電加工機を駆使した「異形線引用超硬ダイス加工」によって、その歴史は始まった。
 その後「冷間鍛造金型」の分野に進出した当社は、モータリゼーションの進展とともに自動車業界における確固たる地位を築き上げ、世界トップクラスのシェアを誇る、グローバル企業へと成長を遂げてきた。
 私たちの最大の強みは、創業時から受け継がれてきた技術への探究心と、飽くなきチャレンジ精神。ニチダイスピリッツを存分に発揮し、経営理念である「新たな価値の創造」を体現してきた、ニチダイマンたちの挑戦の軌跡を紹介する。

ニチダイの「創業スピリッツ」

VSOP

新技術

「開発用プレス」を活用した新技術への挑戦

 1988年8月、ニチダイ宇治田原工場が竣工した。それまでの主力製造拠点だった京田辺工場の約20倍もの敷地面積をもつ同工場は、当社がめざす「多様化」と「高度化」の推進基地として大きな期待を担っていた。1980年代半ばの急激な円高の進展により高人件費国となった当時の日本では、多くの製造業が転機の時代を迎え、企業体質のハイテク化・ソフト化が急務となっていた。そうした潮流のなか、単なる製造業から「技術サービス業」への転身を図るべく、新工場は様々なチャレンジを展開していった。
 その代表が、当時の金型メーカーとしては例をみない巨額の設備投資により導入した開発用油圧式複動プレス「HED-800」だ。この思い切ったチャレンジがニチダイ独自の鍛造技術を生み出し、その後の発展へ繋がっていった。たとえば自社開発の「簡易閉塞ダイセット」も、この「HED-800」の活用によって製品化に成功した。
 同製品の開発にあたっては、社内の技術陣にアイデアを競わせるという型破りなやり方がとられた。この結果、ひとりの技術者が「パンタグラフ方式」という画期的なアイデアを考案し、その後はライバル同士だった技術者が一致団結して、ニチダイの力を結集し、実用化へと結びつけていった。この開発により閉塞鍛造が世の中で飛躍的に普及し、ベベルギアや製品の異形化に拍車がかかった。
 また、当社の代表製品である「スクロール鍛造品」の開発もこの「HED-800」無しには実現しなかったものである。従来工法の鋳造品の課題を解決する工法として鍛造スクロール部品の開発に着手。生産における重要な因子である背圧負荷鍛造法の開発にこの「HED-800」が重要な役割を果たし、試行錯誤の上に最適な成形条件を導き出した。そこから量産に向けた生産技術、そして金型技術の確立や潤滑の課題においても生みの苦しみを乗り越え、現在に続く生産性の高いメカプレスによる鍛造化に成功し、一貫製造ラインを構築した。
 この新技術への探求心とチーム力がニチダイの技術力の真髄であり、その後もお客様との共同開発などを通じて業界を牽引する数々の独自技術を生み出していくことになる。

▲2017年、「HED-800」はその役目を終え、次世代機である「NFD-1000」へとバトンタッチされた。そこには「業界の先頭を走り続ける!」との強い想いもまた継承されている。

新市場

事業の「グローバル展開」への挑戦

 ニチダイが初めて海外進出を果たしたのは、「昭和」から「平成」へと元号が変わった1989年のこと。同年4月、当社は長年培った金型技術をベースに、米国フォートウェインに精密鍛造品の現地生産工場(ND-TECH社 資本金150万ドル)を設立した。
 この初の海外工場は、その後数年で撤退という結果になったが、2002年、当社は米ケンタッキー州にNAC(NICHIDAI AMERICA CORPORATION)を設立し、アメリカ市場へ再び挑戦する。今度は当社の最大の武器である「精密鍛造金型」でのチャレンジだった。「自動車の本場アメリカに、日本の最高の技術を広げていこう!」との思いのもと、試行錯誤を繰り返し、様々な困難を乗り越えていった。だが数年後、事業がようやく軌道に乗りかけた時、米国でリーマンショックが発生。事業は大苦境に陥り、販売拠点NUC(NICHIDAI U.S.A. CORPORATION)を残し再撤退を余儀なくされてしまう。
 しかしながら、ニチダイの海外挑戦の火は消えること無く、灯り続けていた。リーマンショック直前の2007年にはタイにTSM(THAI SINTERED MESH CO., LTD.)を設立し、金属フィルタの生産を開始。翌2008年にもアッセンブリ事業の海外拠点としてNDT(NICHIDAI (THAILAND) LTD.)を同国に設立し、世界の自動車メーカーに向けた事業を拡大していった。さらに金型事業のグローバル展開に向けNDTにおいて2012年にはスクロール鍛造品、2013年からは金型生産もスタートした。世界への飛躍をめざした基盤整備は、タイを舞台に現在も着々と進んでいるのだ。

1989年設立 ND-TECH社

2002年設立 ニチダイアメリカ

2007年設立
タイ・シンタードメッシュ

2008年設立 ニチダイタイランド

新事業

新規事業への挑戦(~アッセンブリ事業、フィルタ事業)

 「ネットシェイプ事業」と並んで当社の3本柱となっている「フィルタ事業」と「アッセンブリ事業」。この2事業もニチダイスピリッツに基づいた、たゆまぬ挑戦と努力の結晶である。
 まずフィルタ事業については、実は40年以上の長い歴史がある。1970年代、当社は「第二の柱事業」を育てるべく、自社開発によるフィルタ製品の研究開発を開始した。当時は真空炉ではなく、金型生産の熱処理に使用する炉を用いて技術開発を行い、1974年から細々と販売をスタートさせた。1980年には現在のJAXAの前身である東京大学宇宙研究所のロケット部品に、当社製フィルタが選ばれた。これは「すべての部品・技術が“純国産”のロケットを作る」というプロジェクトに採用されたもので、その後も当社のフィルタ製品は様々な産業分野に採用されていく。自動車関連比率が高い当社において、フィルタ事業は社会への貢献シーンを広げる役割を担っていると言える。
 一方のアッセンブリ事業は、ターボチャージャーの将来性を見据え、2000年代に新規参入した分野だ。最終組立メーカーからの支援を受けながら研究開発開始を決断したが、知見のない技術も多く、文献を調べるだけでなく、協力メーカーの現場で現物に触れ、様々な試行錯誤を経て技術を確立していった。特に新分野における要求に応えるための特殊加工技術への取り組みやこれまでの当社のものづくりとは異なる組立品の特性の確保、量産の確立に向けて、数々のトライアンドエラーを経て、成し遂げられたものだ。そこには「何としてでも新ビジネスを成功させるぞ!」という、技術陣の“執念”ともいう言うべき強い気持ちがあった。

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